医療従事者の損害賠償責任
目次
1.医師・医療機関が負う義務
医療従事者の損害賠償責任を考察するにあたっては、まず医師や医療機関が患者との関係でどのような義務を負っているかを確認する必要があります。
(1)医師・医療機関と患者との間の契約
ア 契約の性質
従来の通説では、医師と患者との間には契約関係があり、準委任契約(民法656条)が成立していると考えられてきました。請負契約ではなく準委任契約と捉えられるのは、請負のように仕事の完成(結果)を目的とするものではないと考えられているからです。
他方で、医師と患者との間の契約を、準委任契約と捉えず、診療契約という一種の無名契約と解釈する有力説もあります。
いずれにせよ重要なのは、医師と患者との間には契約関係が成立している点です。
イ 当事者
次に、契約の当事者ですが、医療側の当事者については、医師ではなく医療機関と捉え、医師等の医療従事者は医療機関の履行補助者と位置付ける見解が多数説です。患者側の当事者については、原則として患者本人と捉えられますが、未成年者などの制限行為能力者については、それぞれの場面で個別具体的な解釈が必要となります。
なお、医療側の当事者について、自由診療と保険診療とに分けて考えて、保険者を契約当事者と捉える見解もあります。
(2)医師・医療機関が患者に対して負う義務
前述(1)のとおり、医師・医療機関と患者との間には契約関係が成立していることから、当該契約に基づき、医師・医療機関は、患者に対して、診断・治療等に関する善管注意義務を負うことになります。
また、医師は、患者の自己決定権を尊重する観点から、インフォームド・コンセントの前提として説明義務を負うと考えられており、治療法の説明や情報提供等の義務を負っているところ、その説明義務の内容や程度については多くの裁判例が判断を示しています。
さらに、医師・医療機関は、患者との間の(診療)契約上の付随義務として守秘義務を負うと考えられており、守秘義務違反があった場合には、債務不履行責任(民法415条)や不法行為責任(同709条、715条)を負う可能性があることにも留意が必要です。
(3)公法上の義務
ア 義務
医師には、医師法上、その業務について、応招義務(同19条1項)、診断書等の交付義務(同条2項)、無診断治療の禁止等(同20条)、異常死の届出義務(同21条)、処方せんの作成・交付義務(同22条)、療養指導義務(同23条)、診療録の作成・保存義務(同24条)等が課されており、その他の医療従事者についても、それぞれの法律において業務上の義務が規定されています。
また、刑法上、医師、薬剤師、医薬品販売業者、及び助産師等については秘密漏示罪が規定されており、診療情報については「秘密」に該当することは明らかであることから、診療情報の守秘義務が課されていることにも留意しなければいけません(刑法134条)。
イ 罰則
医師の場合、医師法上、これらの義務に違反した場合の処分が規定されており、戒告、3年以内の医業の停止、免許の取消しを受ける可能性があります(同7条1項)。
また、刑法上の秘密漏示罪に該当した場合は、6か月以下の懲役又は10万円以下の罰金が法定刑とされているほか(同134条)、漏示による患者の不利益が特に大きいと考えられる場合については、感染症予防法、精神保健福祉法、及び母体保護法等により、さらに加重された刑罰が課されています。
2.損害賠償責任の要件
(1)法的構成
患者が、医師・医療機関に対し、医療事故に関する民事上の損害賠償責任を追及する場合、法的には①債務不履行責任(民法415条)と②不法行為責任(同709条)の2つの構成が考えられます。すなわち、①‘医師・医療機関と患者との間の診療契約を前提に、診療契約に違反して損害を与えたものとして損害賠償を請求する場合と、②’契約関係とは関係なく、医師・医療機関の医療行為を不法行為と捉えて損害賠償を請求する場合です。
実務上は、債務不履行に基づく損害賠償請求と、不法行為に基づく損害賠償請求を選択的に請求する場合が多く、判例上も、事案に応じて原告(患者)に有利な構成の請求が認容されています。
ア 債務不履行責任
一般的に債務不履行に基づく損害賠償請求権の成立要件は、①債務の発生原因事実、②①の債務の不履行の要件事実、③損害の発生及び額、④②と③の因果関係、⑤債務者の帰責事由の不存在であり、①乃至④については原告(患者)が請求原因として主張立証し、⑤については被告(医師・医療機関)の側で抗弁として主張立証するものと考えられています。
これを医療過誤に基づく損害賠償請求の場面でみると、②①の債務の不履行については、善管注意義務(民法656条・644条)を遵守した適切な診療を行ったか否かを基準とするほかないことから、注意義務違反を基礎づける事実が不履行の根拠事実となり、1 医師との間の診療契約の成立を前提に、2 医師の注意義務の存在、3 医師が2の注意義務に違反したことを立証する必要があると考えられています。
イ 不法行為責任
不法行為責任においては、問題となった医療行為を行った担当医師に対しては不法行為(民法709条)に基づき、当該医師を雇用している医療機関に対しては使用者責任(民法715条)に基づき損害賠償請求を行うことになります。
不法行為に基づく損害賠償請求権(民法709条)の成立要件としては、①原告の権利又は法律上保護される利益の存在、②被告が①を侵害したこと、③②についての被告の故意又は過失、④損害の発生及び額、⑤②と④の因果関係が必要とされており、①乃至⑤について原告(患者)が請求原因として主張立証責任を負うと解されています。
また、使用者責任(同715条)の成立要件としては、前述の不法行為に基づく損害賠償請求権(同709条)の成立要件に加え、⑥ⅰ被告が事業のため被用者を使用していたこと、又はⅱ被告が事業のため被用者を使用している者に代わって事業を監督していたことが必要となります。
これを医療過誤に基づく損害賠償請求の場面でみると、③の被告(医師)の故意・過失を基礎づける事実として、1医師との間の診療契約を前提に、2医師に課せられる注意義務の存在、及び3医師が2の注意義務に違反したことを立証する必要があると考えられています。
ウ 要件事実
以上のとおり、債務不履行責任の場合における債務不履行の内容と、不法行為責任の場合における故意・過失の具体的内容は同一であり、結局のところ、原告(患者)が請求原因の要件事実として主張立証しなければならない事実は、以下のとおりとなります。
要件1 | 診療契約の成立 |
---|---|
要件2 | 医師の注意義務の存在 |
要件3 | 医師が2の注意義務に違反したこと |
要件4 | 3により患者の生命・身体等が侵害されたこと |
要件5 | 損害の発生及び額 |
要件6 | 4と5との因果関係 |
ウ 相違点
債務不履行責任と不法行為責任については、次のとおり、遅延損害金の発生時期(最一小判昭55年12月18日民集34巻7号888頁、最三小判昭37年9月4日民集16巻9号1834頁)、遺族固有の慰謝料請求権の有無(最一小判昭55年12月18日民集34巻7号888頁、民法711条)に違いがあります。
もっとも、前述のとおり攻撃防御方法に相違点はないほか、法的責任の認定にあたっても重要な点につきほとんど相違点はありません。
債務不履行構成 | 不法行為構成 | |
---|---|---|
遅延損害金の発生時期 | 請求日の翌日から発生 | 損害の発生日から発生 |
遺族固有の慰謝料請求権 | 認められない | 認められる |
(2)注意義務・過失
ア 注意義務の種類
医療従事者は、その職業や地位に基づき、様々な法的義務を負っています。
医師の主な義務としては、その時点において要求される医療水準を前提として、善良な管理者の注意をもって適切な医療行為を行う義務があります。医療行為には、問診、検査、診断、投薬、手術といった過程がありますが、各過程において注意義務を負うことになります。また、医師は医療水準に応じた医療行為を自ら行うことができない場合は、他の医療機関に患者を転送する義務(転移義務)を負うほか、インフォームド・コンセントの前提として説明義務や情報提供義務も負っています。
医療施設や介護施設においては、入院患者の管理や、療養ケアに関する義務を負っており、例えば、転倒事故の際の介助義務や、誤嚥事故の際の食事の提供・監視義務等が挙げられます。
イ 注意義務の基準
判例は、医師・医療機関が負う注意義務について、人の生命・健康を管理すべき業務に従事していることに鑑み、「危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務」を要求しています(最判昭和36年2月16日民集15巻2号244頁)。
その上で、判例は、その注意義務の基準となるべきものについて、「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」としています(最判昭和57年3月30日集民135号563頁)。
したがって、医師は、原則として、診療当時の医療水準に従った医療行為を行う義務を負い、医療水準として確立していない治療法等について行う義務を負わないものと考えられています。医療水準とは、当該医師と同じ立場の医師にとって通常求められるレベルのものを意味します。
そして、医療水準は、全国一律のものではなく、「当該医療機関の性格、所在地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮」して決せられることになります(最判平成7年6月9日民集49巻6号1499頁)。また、「医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない」とされています(最判平成8年1月23日民集50巻1号1頁)。
ウ ガイドラインとの関係
診療ガイドライン等については、それ自体が直接に医療水準を構成するわけではないため、医療水準の考慮要素として有力な証拠と考えられています。
(3)因果関係
医師・医療機関に対して損害賠償責任を追及するには、前述の注意義務違反と、後述の損害(結果)との間に因果関係が必要となり、原告(患者)が立証責任を負います。
ところが、この因果関係の判断は極めて難しい側面があります。例えば、①医師の診療に不適切な部分があり、その後に患者に死亡や後遺障害という結果が生じたとしても、患者が元々抱えていた疾病が悪化した可能性も否定できません。また、②医療水準に従った診療を行っていれば、そのような結果は生じていなかったというような不作為の場合には、適切な診療が行われた場合の効果が具体化していないため、因果関係の証明が困難な場合が少なくありません。
この点、判例は、特定の事実(作為又は不作為)が、特定の結果を招来した「高度の蓋然性」があれば、因果関係を認める傾向にあると解釈されています(最判昭和50年10月24日民集29巻9号1417頁、最判平成11年2月25日民集53巻2号235頁等)。
この「高度の蓋然性」は、裁判官の心証における80%程度以上の可能性といわわることもありますが、厳密に数値化できるものではなく、最終的には、被告(医師・医療機関)に責任を負わせることが妥当か否かという判断によることになります。
(4)損害
原告(患者)の損害は、大きく①財産的損害と②精神的損害にわかれます。
財産的損害としては、入院治療費、介護費、休業損害、及び死亡・後遺障害による逸失利益等があげられます。
また、精神的損害としては、死亡・後遺障害、入院・通院等に関する慰謝料があげられます。
これらの損害の算定にあたっては、交通事故の場合の基準が使われることが一般的ですが、事案の個別具体的な事情によって損害額の増額や減額がなされています。