医療事故発生時の手続き
目次
1.医療事故発生時の初動対応
(1)初回の報告
医療事故が発生した場合、人の生命・身体に影響が生じていることから、患者やその家族又は遺族(以下「患者等」といいます。)が非常に感情的になっている場合が多く、患者等の心情への配慮を欠いた対応が、無用な紛争を招くケースが少なくありません。このような無用な紛争を防ぐため、最も重要なのが初動対応です。
まず、隠ぺいや記録改ざんなどの無用な疑いを避けるためにも、患者等に対し、早急に報告を行うことが肝要です。
他方で、初回の報告時には、院内調査が十分ではないことが通常ですから、客観的に明らかな事情に絞って報告する必要があります。特に事故原因については、医療機関としての責任に影響してくる部分でもありますので、慎重な対応が必要です。
(2)院内調査後
ア 医療機関側の過失が明らかな場合
院内調査の結果、担当の医療従事者に過失があったことが明らかであれば、いずれにせよ損害賠償を行うことになる可能性が高いため、患者等に対して、調査方法・経緯、及び結果を報告した上で、後述のとおり誠実に謝罪を行い、患者等に生じた損害を賠償する意向があることを伝えることで、紛争リスクを軽減させることを優先すべきです。この際、報告や謝罪は、管理者である院長名義で示すことが望ましいと考えられます。
また、患者等への損害賠償については、通常は病院賠償責任保険や医師賠償責任保険を用いて行われることになりますが、この際も保険会社に全ての処理を任せ切りにするのではなく、患者等に向けた窓口を設け、要望に応じて説明や資料開示を行うことができる体制を整えることが望まれます。
イ 医療機関側の過失が明らかでない場合
他方で、院内調査の結果、担当の医療従事者に過失があったかどうか、判断がつかない場合もあります。
このような場合も、患者等に対して、調査方法・経緯、及び結果を報告し、誠実な対応を行う必要がありますが、後述のとおり過失を認める形での謝罪や損害賠償の話を行うことは尚早です。
弁護士に相談しながら、訴訟発展時の裁判所の判断を検討した上で、まずは話し合いによる解決を試みることになります。
(3)謝罪について
よくある質問に、医療事故発生時に謝罪を行ってよいのか、謝罪を行うとしてどのような内容を述べればよいのかというものがあります。
医療機関や担当の医療従事者からすれば、謝罪を行うことが、自らの責任を認めることになり、その後の訴訟等で不利に働くのではないかと懸念される部分かと思われます。
この点については、謝罪すべき場合と謝罪すべきではない場合があります。
ア 謝罪すべき場合
謝罪すべき場合とは、医療事故について医療機関側に過失があることが明らかな場合です。
過失があったことが明らかであれば、いずれにせよ損害賠償を行うことになる可能性が高いため、患者等の心情に配慮して誠実に謝罪を行うことで、訴訟に発展するリスクを軽減させることが優先されます。
また、医療機関側に過失があることが明らかであるにもかかわらず、何らの謝罪も行わなかったことで、後の訴訟において、医療機関側の不誠実な対応を理由に、患者等の精神的損害(慰謝料)が増額されることも懸念されます。換言すれば、後に損害額が争いとなったときに、誠実な謝罪を行っていたという事実は、慰謝料の額を減らす要素の一つとなり得ます。
イ 謝罪すべきでない場合
反対に、謝罪すべきではない場合とは、医療事故について医療機関側の過失があったか否か判明しない場合です。
このような場合は、医療機関側の過失を認める形での謝罪は控えなければなりません。なお、裁判所は、単に謝罪の事実をもって、医療機関側の過失を認定することには消極的といえます。謝罪には、様々な意味が含まれ、必ずしも過失を認めるものとは限らず、患者に生じた結果を詫びているにすぎないことも多いからです。ただし、患者等において、謝罪があったという事実を殊更に強調して、医療機関側の過失を前提とした主張を強く行ってくるおそれがありますし、裁判所においても、医療機関側に少なからず非があったとの心証を与え、和解の局面で被告(医師・医療機関)に不利な提案を行ってくるおそれもあります。そのため、不用意な謝罪は控えるべきです。
他方で、患者等の心情に配慮した言葉は求められます。例えば、「心からお悔やみ申し上げるとともに、できる限りの配慮をさせていただきます。」といった発言であれば、過失を認めることになりませんし、患者等に対する誠意を示すことも可能です。
2.開示請求への対応
(1)診療記録とは
医療過誤が疑われる場合、患者等から、診療録、その他診療に関する諸記録(以下総称して「診療記録」といいます。)について開示を求められることがあります。
厚生労働省が策定した「診療情報の提供等に関する指針」(平成15年9月12日医政発第0912001号)において、診療記録とは、「診療録、処方せん、手術記録、看護記録、検査所見記録、エックス線写真、紹介状、退院した患者に係る入院期間中の診療経過の要約その他の診療の過程で患者の身体状況、病状、治療等について作成、記録又は保存された書類、画像等の記録をいう」と定義されており、「医療従事者等は、患者等が患者の診療記録の開示を求めた場合には、原則としてこれに応じなければならない」とされております。
(2)カルテ開示
ア 患者本人からの請求
カルテ開示請求とは、患者等が医療機関に対し、診療記録を任意に開示するように求めることをいいます。診療情報は、個人情報保護法上の個人情報に該当し、多くの医療機関は、診療情報を扱う個人情報取扱事業者に該当するため、患者本人から開示請求があった場合には、一定の除外事由に該当する場合を除き、これらを開示することが義務付けられています。
イ 患者の家族からの請求
他方で、患者の家族からカルテ開示請求がなされた場合、患者本人の同意を得ないで患者以外の者に対して診療情報の提供を行うことは、民事上の守秘義務違反、個人情報保護法27条1項違反、及び刑法上の秘密漏示罪に開示する可能性があるため、原則として患者本人の同意を得る必要があります。
ただし、患者本人の同意を得ることが困難である場合等には、開示が許される場合があるほか、医師法上の療養方法等指導義務及び診療契約上の説明義務に基づき、開示を義務付けられる場合もありますので、前述の「診療情報の提供等に関する指針」及び厚生労働省が策定した「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス」(平成29年4月14日通知、令和4年3月1日改正)を確認した上で、判断に迷う場合は弁護士に相談を行うことが望ましいです。
ウ 患者の遺族からの請求
個人情報保護法は、生存する個人の情報を適用対象とし、死者の情報は原則として個人情報とならないことから、患者の遺族からカルテ開示請求がなされた場合、これに応じる義務は同法上課されておりません。
しかし、「診療情報の提供等に関する指針」及び「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス」は、患者の配偶者、子、父母及びこれに準ずる者(これらの者に法定代理人がいる場合の法定代理人を含みます。)から、診療経過、診療情報や介護関係の諸記録について照会が行われた場合、患者本人の生前の意思、名誉等を十分に尊重しつつ、遺族に対して、死亡に至るまでの診療経過、死亡原因等についての診療情報を提供しなければならないと定めています。
これらはあくまで指針であり、強制力をもつものではありませんが、現在では多くの医療機関で前述の指針に従った運用がなされています。
(3)証拠保全
証拠保全とは、「あらかじめ証拠調べをしておかなければその証拠を使用することが困難となる事情があると認めるとき」に裁判所の決定でなされる証拠収集手続きをいいます(民事訴訟法234条)。
医療過誤が疑われる場合で、カルテ開示請求に対して任意開示を受けられなかった場合や、診療記録の改ざんのおそれが高い場合などに、患者等から、診療記録の証拠保全が申し立てられることがあります。
患者等かの申立てに基づき、裁判所にて必要があると認めた場合、証拠保全の決定を行い、患者等の代理人弁護士と裁判所との間で日程調整を行い、検証期日が決定されます。
検証期日には、検証開始時刻の1~2時間前に執行官が医療機関を訪問し、証拠保全決定を手渡しで送達します。検証開始時刻になると裁判官や患者等の代理人弁護士等が医療機関を訪れ、診療記録の提示を求めて、これらをコピーや写真撮影して保全します。
証拠保全決定に対して、医療機関が診療記録の提示を拒否しても、物理的に強制手段をとられることはありませんが、過料が課されたり、後の訴訟で不利な認定をなされるおそれがあるため(民事訴訟法232条1項、224条3項)、原則として、開示を求められた診療記録は全て開示することになります。
3.訴訟前の交渉
患者等が、医療機関からの説明、及び診療記録等の分析によって、医療機関側に責任を追及できると考えた場合、金銭による損害賠償や謝罪を求めてくることがあります。
この際、医療機関としては、院内調査の結果、医療機関側の過失がないことが明らかな場合には、調査方法、経緯、及び結果を丁寧に報告し、患者等の理解を求めていくことになります。
他方で、医療機関側の過失が明らか、又は不明な場合には、訴訟に至った場合の風評被害、時間的・経済的負担等のリスクを回避するため、訴訟外の解決方法を模索し、話し合いに応じる姿勢を見せることを検討すべきです。
訴訟外の解決方法としては、示談交渉、医療ADR、民事調停といった方法があります。
いずれにつきましても、訴訟で判決に至った場合の結果を想定し、合意解決な解決案を模索していくことになるため、弁護士による分析が不可欠であり、早い段階で相談を行うことが望ましいです。